餌木は日本古来のルアーで江戸時代に発明された
エギングで使われているエギ、正確には餌木ですが、日本でいつから使われ始めたのか気になって調べてみました。
餌木は江戸時代に発明されたようです。
松明を燃やして漁に出た薩摩漁師が、海に落ちた松明にイカが抱きついたことを発見し、それをきっかけとして餌木が発達したとのことです。
餌木の起源
餌木(エギ)は日本古来のルアーで、その起源にはいくつもの説が存在しますが、江戸時代に松明を燃やして漁に出た薩摩(現在の鹿児島県)の漁師が、その松明を海中に落としたところそれにイカが抱きついたことが始まりとされています。
餌木はその後薩摩地方で発達し、江戸時代は武士の遊びとして流行。さらに明治時代は豪商が餌木職人をかかえ、人よりもよく釣れる餌木を求めたとの事。
薩摩から全国に広がった餌木ですが、それぞれの地域の環境や漁法合わせ、大分型・山川型・五島型・山陰型・紀州型などに形を変えていきました。
このうち現在市販されいる餌木の主流となっているのが、大分県保戸島周辺が発祥地の「大分型」と、鹿児島県山川町が発祥地の「山川型」です。引用:https://asp.mg21.co.jp/turi-navi/sp/ittemiyou/eging/history.htm
その江戸時代の餌木の写真がこれです。
シンカーは古銭なんだそうです。
引用:https://blogs.yahoo.co.jp/ungaiiseinen/10539497.html
引用:https://blogs.yahoo.co.jp/ungaiiseinen/10539497.html
1番目の写真右側の餌木は焼き餌木で、左側の餌木は白木餌木です。古い方は焼き餌木で、古銭をオモリに使っている点から明治時代後期だと判断できます。同じ焼き餌木で鉛をオモリに使っているタイプは、これよりも古く江戸後期から明治前半だと思います。白木餌木は大正から昭和初期だと思います。このタイプでオモリに鉛を使ったものは、昭和20年代に作製されたものです。この後、布餌木に発展する過度期の貴重な資料です。オモリに使っている古銭は、細い竹串か木串で止めてあり取り外しができると思います。古銭は穴銭ですので、2枚3枚と増やしたり、反対に減らしたりできると思います。これで沈降速度を調整していました。また、古銭は遭難して知らない土地に流れ着いた時、帰るための旅費や食事代にしたとも言われています。
引用:https://asp.mg21.co.jp/turi-navi/sp/ittemiyou/eging/history.htm
科学技術が発達した現在の餌木とほぼ変わらない形状をしています。ということは、江戸時代にはイカ釣りに最適な形状を分析できていたってことですよね。
焼きつけて模様も付けられています。
江戸時代の日本人は偉大ですね。本当に頭が下がります。